Visionインタビュー:大学院での学びと大学職員のキャリア 土居新治さん④

エリア支援室という現場での仕事での気づきが海外研修や大学院への挑戦につながったという土居さん。大学職員として働きながら大学院で研究することと、大学職員としてのキャリアや仕事観について、引き続いて聞きました。

――エリア支援室での業務を経て、働きながら大学院で修士号を取得した話について教えてください。

大学院に行こうと思ったのは、海外研修から帰ってきて次の目標になるような新しいことをしたくなったというのと、文部科学省にいた時の先輩職員に私と同じ大学院のコースを出た人がいて、その人がものすごい情熱を持った強烈な人だったのです。詳しくは語りませんが、業界でも有名な方で、「日本の高等教育をよくしたい」ということを心の底からとうとうと語られて「こんな人いるんだ」と驚きました。そういう強烈な人に会って感化されたということもありました。

――それで自分も同じ大学院に行こう、と。

その大学院の存在を知ったのもその方からで、「頑張っている人がいるんだ」と思って自分も勉強してみたくなったのが、大学院に行ったきっかけです。

――大学院と言えば研究ですが、大学職員にとってのリサーチや研究はどのような意味を持つのでしょうか?

先にご紹介したチュートリアルのように、勉強したことが後で役立ってくるということがあったり、知らないと変な方向に事態が行ってしまいかねないというような状況を防げるということがあったりします。研究というと堅苦しいですけど、勉強しておくというのは大事で、よく知らないまま業務を進めてしまうと実は見落としている視点がたくさんあった、ということにもつながりかねません。それは怖いことでもあります。

――でも勉強したからと言って待遇がよくなったりという直接的なリターンがあるわけではないですよね。

待遇が上がればうれしいですしその方がよいと思いますけれども、それを目的にしているような大学職員は自分も含めて知り合いにはあまりいなくて、勉強することで自分の仕事がよりよくできるようになるとか、そういうところが勉強のよいところなのではないでしょうか。結果として待遇が上がればよいし、すぐに上がらなくても仕事は楽しくなります。というのも、自分のやっている仕事がわかるようになる、やっていることの意味が見出せるようになるからです。勉強をすればするほど自分しか知らないことも増えてくるので、「自分が言わないとおかしなことになってしまう」という場面で自分が勉強してきたことが使えると、勉強していてよかったと思いますね。逆に、間違いに気づいてしまうがゆえに自分で自分の仕事を増やしてしまったり、「言われたとおりにやる」のが難しくなったりする副作用もありますけど(笑)。

――そうですね。勉強や研究をすると「解像度」が上がるけれどもそれだけ粗いところも見えてきてしまうし、放っておけばよいものを放っておけなくなりますよね。見て見ぬふりをできなくなるというのか。

働いていると誰もがいろいろな問題意識を持つと思います。私の場合だと、大学の国際化や教育についてもっとこうしたらよいのではないか、とか。大学院で研究をしてみてわかったのは、「そんなことはみんな思っている」ということです。誰かがもう自分より先に研究しているので、それを全部勉強していって、最後に「ここはまだ誰も気づいていない」ということを発見して取り組むのが研究だと思います。研究を通じて自分が抱えた問題意識をどんどん深掘りしていくことで、自分と同じ問題意識を持った人がたくさんいるんだとわかるし、それを解決するためにどういうことを勉強しどう取り組んでいったらよいかを道筋立てて考えられるようになる、というのは研究を経験してよかったことです。私自身はまだまだ未熟ですけど。

――大学職員の一定数については、博士までとは言わなくても修士の研究まではやった方がよいということでしょうか。

そう思いますね。大学職員に限らず、社会人全員と言ってもいいくらいだと思います。修士で身につける能力はどのような仕事をしていても役に立つのではないでしょうか。

――筑波大学では職員として務めながら、この大学で社会人大学院生をしている人もいますね。

そうですね。仕事で要求される水準も昔と比べると上がってきているのではという気がします。

――仕事の上でのその変化は、社会の変化によるのか、大学特有の事情があるのか、どちらだと思いますか?

社会の変化は間違いなくあって、他の企業と同じようにITスキルや英語能力の高い人は当然増えていかないといけないわけです。また、国立大学特有の事情としては、少子高齢化や社会保障費の増大を背景として国からの予算配分が厳しくなる一方、社会の変革や経済成長に対して大学が貢献すべきという期待が高まってきたことで、自らお金を得てこなければならない、新しいことをしなくてはいけない、もっと仕事を効率的にやらないといけないとなりました。そういう状況では新しい能力が必要ですよね。

――それは大学に限らずどの業界でも同じようなことかもしれません。

でも、大学の場合は明確なゴールがないのを際限なくやらないといけません。民間企業だと利益で成果を測ることができます。利益が出ている間はそのやり方が正解で、いま行っていることを継続すればよいということになるでしょう。何かを追加することはあるでしょうが、「無限に改革する」ということはたぶんしないわけです。一方、大学は教育、研究、社会貢献という多義的な目的を持った組織です。これらの目的に対応する成果を一意に測定することは非常に難しく、また、成果が出るまでの時間も民間企業より長くなることが多いでしょう。さらに、例えば教育時間を増やせば研究時間が減少するというように、時には目的同士が対立することさえあります。大学が持つ多義的で成果の測定が困難な目的に対し、最適なバランスを模索しながら、より良い教育、研究、社会貢献ができるよう、不断に取り組んでいかなければなりません。

――そこはよくないところがあるというのか、刺激があってよいというのか、どちらかでしょうか?常に変化していくのが本来のあり方という人もいるでしょうから。

変化は必要だと思いますので、変えていくのはよいのですけど、変えるなら前よりよくなっているという証拠を積み重ねていかないと、うまく行っているのか行っていないのかわからなくなってしまいます。

――大学改革には難しいところもありますね。その一方で研究という側面で考えると、終着点がある研究は発展性という点でよくないところもあって、「大きなテーマを見つけなさい」と先生から言われたりすることもありますよね。

私が読んできた高等教育関係の本の中で最も感銘を受けたのが、ハーバード大学で20年学長を務めたデレック・ボックが書いた「アメリカの高等教育」です。彼は徹底したデータ主義で、何かを変えたいのであれば、現状では上手くいっていないことの証拠を調べて出して説得するという方法を忍耐強く行っていかなければならないと説いており、本来はそうあるべきだと思います。しかし、潤沢な独自財源を持ち政府の干渉を受けないアメリカの私立大学と日本の国立大学では異なる状況にあるということも踏まえて考えなければなりません。

――今の日本の大学では変化がわかるところまで待たずに次の施策を求められ実行してしまうので、実態を分析したくても複数の要因を切り分けできないというのが難しいところではないかといつも考えてしまいます。海外の研究も見ながら自分の業務を向上させる勉強をするというのは、他の方もされているのでしょうか?

少数だと思いますがいるにはいます。

――そうなると、情報のキュレーションをそのような方に集約して、そこから全体に共有する仕組みを作った方がよいのかもしれませんね。

それが、先に話した「プラスアルファ」で、微力ながら私が大学に貢献できることだと思います。別にみんなが同じことをする必要はないわけですから。

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