Visionインタビュー:筑波大学を卒業し、民間を経験しての入職 元村彰雄さん①

筑波大学の教育改革を支える教育推進部教育機構支援課で、課長を務める元村彰雄さん。連続インタビューの第1回は、筑波大学を卒業してなぜ筑波大学に事務職員として入職したかですが、そのいきさつには今の仕事にもつながる何かがありました。

――元村さんは筑波大学出身とのことですが、いつの卒業でしょうか?

1994年3月の卒業です。入学は1990年でした。

――その頃は今のようにインターンなどがない頃で、在学中にそのまま公務員試験を受けたのでしょうか?

私は民間を経由していまして、大学を卒業した後に音楽出版社に勤めました。音楽が好きだったので、就職活動ではレコード会社なども受けました。その中で、自分が中学の頃からずっと読んでいたギター雑誌を作る側になりたい、とにかく行ってみたいという思いだけでその音楽出版社を受けたら、幸運にも採用になりました。卒業する前から出勤になり、卒業式は会社を休んで行きました(笑)。

――それはすごい大学生活の終わり方でしたね。大学に入学した当初はどうだったのですか?

1年生の時に新歓で誘ってくれたバンドサークルに最初の学園祭まで入っていましたが、その後別のバンドサークル[1]に移りました。アルバイトは和食の定食屋さん[2]で働いていました。学生が作るミニコミ誌に載っていたアルバイト募集を見て1年生のゴールデンウィーク前にふらっと行ったら、マスターと同郷だということがわかって、すぐに働き始めて卒業まで4年間お世話になりました。学生アルバイトが活躍する半ばサークルのようなお店で、イベントなども多く、とてもよくしてくださいました。学類の先輩とのつながりで別のとんかつ屋さん[3]と短期間かけ持ちしていた時期もあります。定食屋さんにバンドをやっている先輩がいて、先のバンドサークルを紹介していただいたというわけです。

――それが私と同じサークルだったというのは奇遇です。音楽と最初の就職はどうつながっていったのでしょうか?

もともと音楽の才能があるわけでもギターが上手いわけでもなく、ただギターを弾くのが好きというだけで、ずっと読み続けてきたギター雑誌の出版社を受けました。採用後は、邦楽バンド雑誌の編集部で半年の試用期間を過ごし、その後、別の邦楽情報誌の編集部に配属され、編集者の仕事をしていました。ライターさんとカメラマンさんに発注して取材に行ったり、誌面のラフをデザイナーさんに渡してレイアウトを組んでもらったりしました。次号の構想が編集会議で決まったら、いろいろなところに発注して記事を組み立てていく仕事です。そうした経験をしながら思ったのは、自分は音楽全般が好きというよりも自分が聴いていたアーティストや楽曲が好きなだけで、当初目指していた雑誌に配属されたとしても自分ができる貢献はあまりないのではないかということでした。これは最初にその音楽出版社を受けようとした時から自分でも少しわかっていたことではあるのですが、チャレンジしないでやめておこうというのと、実際に体験して判断するのとは違うと思いました。2年で退職したのですが後悔は全くなく、自分の知らなかった素晴らしい世界で働かせていただいたのは、自分にとってとても貴重な時間となりました。

――最初に就職した時の経験は今の仕事にどのように活きているのでしょうか?

雑誌で誌面構成をデザインして編集するという仕事は、大学で言えば業務課題を俯瞰して全体を組み立てて作業を進めるということに当たりますが、そこでは音楽出版社で教えて頂いたことが大いに基礎となっています。取材するアーティストの個性や魅力を引き出せるようなインタビュー内容、写真イメージ、誌面のテイストなどを考え、それに合ったタイプのライターさん、カメラマンさん、デザイナーさんに依頼して、一つの記事をまとめ上げていくわけですが、そのためには作りたい誌面イメージを関係者と共有することが大切です。失敗もたくさんして多くのことを学びましたが、特に全体のデザインを考えることの大切さを学んだと思います。

――今の大学職員採用では民間企業等経験者の登用試験もありますが、どのように採用試験を受けたのでしょう?

民間企業で一番行きたかったところを退職したので次の民間企業は思い当たらず、公務員という選択肢が出てきました。アルバイトや試験勉強をして1997年に当時の国家公務員II種試験を受け、機関訪問をしました。どこで働きたいかと思ったときに、私にとってつくばは充実した時間を過ごした「第二の故郷」でしたし、とても住みやすかったので、そんな環境で働けたらいいなぁと思って筑波研究学園都市の機関を中心に訪問しました。

――その中で筑波大学を選んだのはどんな理由でしょうか?

内定の連絡が早かったのもありますが、機関訪問の際に担当の方々がとてもフレンドリーだったのが印象的でした。面接の前後くらいに先輩職員との懇談会があり、私の前に座っていたのが今も知っている方で、緊張している応募者に気さくに話しかけていました。そんな様子を見て、のびのびと仕事ができそうだと感じたわけです。他の機関ももちろん丁寧に説明してくださったのですが、それとは何か違う親しみやすさがあったのを今でも憶えています。

――人事担当者がフレンドリーだったというのは他の職員も挙げていますから、そういう雰囲気は筑波大学の伝統なのかもしれませんね。

その時の自分の印象だけなので何とも言えませんが、面接のことはよく憶えていないけれども先輩職員との懇談の場があって大学の生の姿をフレンドリーに教えてもらえた雰囲気は、今でも記憶に残っています。

――今年度から大学経営推進局では4月に新任教職員向けの交流イベントを始めたりしました。それは新任の方にとって筑波大学が「第二の故郷」になってほしいという思いで始めたのですが、元村さんにとってのそんな筑波大学のよさ、筑波大学らしさは何なのでしょうか?

もともと私が筑波大学を志望したきっかけは、高校の担任の先生が教員研修センター(現:独立行政法人教職員支援機構)に研修に行ってきた後に「筑波大学はすごい大学だぞ」と語っていたことです。その一言が気になって「どういう大学なのか知りたい」と思って調べました。そうやって調べれば調べるほど、筑波大学は他の大学と「違う」ことがわかってきて、自分の志望動機も固まっていきました。

――この筑波大学の特徴というのは、職員として働く上でも何かポイントになるのかもしれません。大学に入った後はどのような「よさ」や「らしさ」を感じたのでしょうか?

私にとって筑波大学のよさは、狭い意味での大学だけでできているのではなくて、例えば1年生のほとんどが学生宿舎に入居するように、生活が大学と一緒にあるということだと思います。大学に通うというより大学の中に住んでいて、近隣のアパートに引っ越しても広い意味での大学の中に住んでいる感覚です。大学とは直接関わりのない活動も含めて4年間のすべてが筑波大学に集約されているようで、まさに自分の人生の一部分なので、「故郷」のような存在に感じるのだと思います。

――それは私も同感です。そうすると、筑波大学は「没入感のある大学」や「人生を作る大学」と言えるのでしょうね。もちろん反面で人によって合う、合わないが分かれるということかもしれなくて、学生でなく教職員でもそうなのかもしれません。いずれにしても、筑波大学の「よさ」や「らしさ」は、単に学ぶ場所や働く場所として通う大学そのものというのでなく、人生にとってかけがえのない何かができるような、深く入ってくるところにありそうです。


[1] 筑波大学にはバンドサークルだけでも5つ近くあり、掛け持ちやメンバーの移動も少なくない。元村さんと土井がともに所属していたのは、どんな音楽性でも受け入れるオルタナティブなサークルだった。これに限らず、筑波大学では同じジャンルで複数のサークルがあることも多く、豊かな学生文化を形成している。

[2] 筑波大学の至近で長く教職員・学生をうならせてきたことで知られる店。2013年に閉店し、マスターご夫婦で営む店として移転した。

[3] つくばで40年以上にわたり営業するとんかつ専門店。長くアルバイトを勤めた本学出身の教員もおり、前述の定食店と同様に、アルバイトを経験したOB・OGも多い。

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